掃除・片づけは、実は簡単なことではありません・・!
シンプルな事だけど、シンプルな事だから?奥が深いです。。
さて、ここでは特に、片づけの重要パート「捨てる」の指針を示してくれる書籍をご紹介いたします。私もお世話になった書籍たちです。
捨てるのが苦手な方は、第一に「手元に置くべきものが、どういうものか」の判断基準を身に着けるのが大事だと思います。
そして実際にその判断基準でモノを分別する作業を行うと、基準が身につくので、更に不要なものは買わなくなり不要なインプットも減らすことができるという好循環が生まれます!
おすすめ書籍
①「人生がときめく片づけの魔法」/ 近藤麻理恵 さん著
文庫もありますが、マンガ版でも十分にポイントが掴めます。マンガ版の方は1時間もあれば読めるボリュームで、初めて読む片付け本としてうってつけだと思います。
片付け術を提唱される方が持つ根本の思想は、ほぼ同じ場所に帰ってくるのだなと、感じています。片付けは自分自身と向きあい、気づいていなかった「大切なもの」を自分の中に発見し、現実世界を自分に合った姿へ整えていくプロセス、とでも言いましょうか。
本書は、その根本思想をしっかりと押さえつつ、方法論としての片付けの超重要ポイントである「取捨選択の基準」に照準を絞ってあり、シンプルで大変読みやすいです。
片付けは、人にやってもらうのではなく、自分ですることに意味がある!
部屋を散らかしているのは誰でしょう?
家族の力を合わせて散らかしている場合がほとんどだと思いますが、自分自身も加担している部分は大いにあるのではないでしょうか。。。
たいていの場合、散らかるのは「いつの間にか」です。
習慣によって、無意識レベルで散らかしてしまうのです。
いくら片付けても、散らかす習慣がある限り、片付けては散らかすの繰り返しになってしまいます。
散らかす習慣を散らかさない習慣へ変えていくには、自分自身が片付けをして、自分自身にとって必要なモノと必要でないモノが分かるようになって、自分が何をどれだけ持っていて、どこに仕舞っているのか把握することが必要です。
自分自身で片付けをしていない方は、まずは自分自身で片づけることを。
いつも片付けしているのに散らかってしまう、という方は、モノが多すぎる、もしくは置き場所が定まっていない等が考えれます。
「片付けの魔法」を読み進めて、キレイが持続する片付けの方法を学びましょう。
判断基準は「ときめき」!
近藤麻理恵さん(以下、こんまりさん)が提唱する、手元に残すもの、手放すものの基準は「ときめき」です。
最近、トキメキを感じたことはありますか?
トキメキは青春時代の特権でもなければ、推しだけの特権でもありません。日常生活のすべての場所にトキメキがあるのです。今いるアナタの周りもトキメキで溢れています。もしも、そのことに気付いていないなら、とてももったいないことですよね。
逆に、周りにトキメキが溢れている日常が送れるとしたら、人生はなんと鮮やかで潤いのあるものになるでしょうか。
こんまりさんの片付けの魔法の神髄はここにあります。「なんとなく」のモノに囲まれた人生を「大好き」なモノに囲まれた人生に変えていくメソッドです。毎日手に取るマグカップもお茶碗も、洋服も、お部屋のインテリアも。目に入るたび、手に取るたびキュンとするようなモノを探しましょう。
私は、人の性格とは好き嫌いのパターンだと思っています。「好き」が無い人はいないです。もし長らく「好き」を感じていないとしたら、とても弱くなってしまった心の発信をキャッチすることから始めましょう。
片付けは、つまらないことではなくて、自分の大切なものを知って人生を豊かで幸せなものにすること。
そのように私は解釈しています。
こんまりさんの「片付けの魔法」を読んで、日常の中にトキメキを増やしていきましょう。
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②「断捨離」/ やましたひでこ さん著
もはや「断捨離」という言葉は日本の標準語なのではないかという程に浸透しました。この断捨離ということばの生みの親が、やましたひでこさんです。
先に挙げたこんまりさんの「片付けの魔法」をカジュアルと表現するなら、やましたひでこさんの「断捨離」はオーセンティックと表現したい。ヨガ哲学を根本としていて、片付けというテーマを元に、心の気づきや変革を促し、片付けだけに留まらない深淵な世界観があります。
モノが活きる収納のコツや、モノを通して自分自身を高めることなど、数年ごとに読み返したい内容の詰まった一冊です。
「断捨離」とは何か?
よく聞く「断捨離」。意味は?と聞かれたら、何と答えますか?
漢字を見ると「モノを捨てること??」という雰囲気もします。
書籍の内容を引用しますと
「断」・・・モノは使ってこそ。モノの量と質に意識的となり、使い切れないモノ、必要以上のモノの流れを断つ。
「捨」・・・モノは、今、この時に、必要とされるところへ。かつて使っていたモノでも、今、必要でないのならば、いつかそのうちまた使うかもしれないと、漫然と保存、保管、収納するのではなく、今、必要とされているところへ、意図的にスムーズに送り出して捨てる。
「離」・・・モノは、あるべきところにあって、美しい。モノにも自分にも問いかけながら、「断」と「捨」を繰り返し、今の私に相応しいモノを選びぬく。絞り込まれ、厳選されたモノたちは、各々割り当てられた空間に、自ずと戻るように離れていく。
モノが溢れる現代の日本に暮らす私たちは、特に意識をしなければ、あっという間に家の中にモノが流れ込んできます。特に思い入れがあるわけでもない、一つ一つのモノたちも、集合体になると力をもって市民権を得てしまいます。
何気なく買ったモノたちに、私たちは家の中の居住スペースを明け渡し、狭くなったスペースで「家が狭い」などと愚痴をこぼしながら生活をしている。。
客観的に見ると我が家もそうなのかも?とドキッとさせられますね!
片付けない、片付け。
なんて素晴らしい響きでしょうか。片づけないのに部屋が片付いているなんてこと、あるんでしょうか?
種明かしをすると、身の回りに本当に必要なモノしかなく、且つ、モノにちゃんと帰る場所が決められて十分なスペースを割り振られていれば、モノは自然とあるべき場所へ帰る。ということは、つまり片づけているのは私で、しかも使った後にストレスなく自然と、あるべき場所に戻している、ということです。
なるほど、それなら「片付け!」なんて意識や気合いは必要なさそうです。
やましたひでこさんの「断捨離」を実行すると、こんな素晴らしい世界が待っているというのです!
私もまだまだその域には達しませんが、(特に仕事場が散らかりがち…(^^;))必要なモノを厳選すると、モノが元より減ったからと言って意外に不自由はなく、しかも確かにモノがあるべき場所へ帰っていくのを実感できます。
断捨離の目指すもの
身の回りを囲むモノたちは、自分の手で選んだものばかり。だから、自分がどんなモノに囲まれて生活しているかということは、まさに自分を映す鏡でもあるのです。
大好きなものであれば、それはどんなものでも構わないと思います。けれど「汚れてもいいように」「壊れてもいいように」といった理由で、普段使いとしてテキトーなものを自分にあてがったりしていませんか?
本文にある例では、「お客様用にはマイセンのカップ&ソーサー、自分用にはドーナツ屋のおまけのマグカップ」とありました。つまり、無意識のうちに「自分にはマイセンはもったいない」「自分にはオマケのマグカップが相応しい」と自己評価している、と。何を隠そう私もパンのシールを集めてもらったマグカップを使っていたのでドキッとしました(笑)
そのマグカップは気に入っていたので、まぁ良いのですが。それ以降、特に食器はよほど気に入らない限り買わなくなりました。
身の回りに溢れるモノの中から、今の自分に本当に必要なもの、相応しいモノを絞り込んでいく。それによって、自分の姿が見えてくる。さらに、ワンランク上の自分が持つであろうモノに自分のセルフイメージを引っ張り上げてもらう。まるで人間関係のように相互的で、自分をみつめ自分を高めるモノとの関係性を作る、というのが「断捨離」の私なりの解釈です。
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③感情を整える片づけ/ 種市勝覺 さん著
種市勝覺さんの肩書は「密教風水カウンセラー」です。書籍の文面を引用すると、密教と風水はどちらも感情や無意識を整える効果が非常に高い、能力開発技術という共通点があるそうです。
本書の記述を引用します。
風水は環境の力を味方につけて、無意識に働きかけることで感情を整える技術。(中略)対して密教は、自分や他人の感情や欲望を否定せず、向き合い、受け入れることで自分自身を救う技術。
仏教というと、一切の欲望願望は捨て去らなければならない、、というような教えだと思っていたのですが、欲望を否定せず受け入れるとは、人であることを許されたような気分で安心しました。
環境を介して、私たちは「無意識」にアプローチできる
無意識を意識的に変えることは可能か??
と言われたら、悩んでしまいますね。だって意識的になったら、それはもはや無意識ではないのでは??ということになってしまいます。
無意識の仕事はすごいものです。慣れないうちは、いちいち考えながらやっていたことを、慣れるにしたがって、たいていのことは無意識が対応してくれるようになります。
運転免許取り立ての頃はあんなに緊張しながら運転していた道も、今では通勤の行き帰りなどほぼ自動運転状態です。歩行者などに注意こそするものの、アクセルブレーキにいちいち何かを考えたりすることはありません。
体の動きだけではありません。絶えず五感から入ってくる情報の中から「必要」と思うものだけを選別して意識に届けているのも無意識です。
もしもあなたの日常が同じような毎日の繰り返しなら、あなたの毎日のほとんどは無意識の仕事で成り立っているかもしれません。・・と言ったら、無意識の重要性は十分にご理解いただけたかと思います。
本書の著者である種市勝覺さんによると、なんと掃除・片づけで身の回りの環境を整えると、無意識にアプローチできるというのです・・!以下に本文の一部を抜粋します。
人の意識と無意識の比率は1対9やそれ以上ともいわれ、じつは、人の心の動きのうち、無意識の方が圧倒的な大きさを占めています。(中略)わたしたちは、「自分を変えたい」「もっと良くしたい」と思ったとき、1割しかない意識の方ばかりを変えようとします。(中略)しかし、1割の意識よりも9割を占める無意識に着手した方が、圧倒的かつ確実に自分を変えることができるわけです。
私的にこの言葉は、かなりの衝撃でした。確かに、「変わりたい!」と願った時、我々は自分の行動を意識的に律しようとしがちです。というか、私はそうしてきました。だって、意識レベルでなりたい自分の行動を毎日繰り返して心身に慣れさせ、無意識レベルで実行させよう、というのが一般的な自己改革のセオリーではないですか。
種市勝覺さんの方法論は、それの真っ向逆を行く発想なのです。無意識に働きかけて、意識レベルの行動を変化させようという。。。つまり環境を整えるという以外の部分では、自分の行動を直接律する必要が無いということなのです。
感情と環境は繋がっている
私たちの思考、感情は、私たちが見聞きした情報、触った感触、香り、そいういった五感からの入力によって生まれるものです。
五感からの入力情報に対して、何かを思い、何かの感情を抱くことを、私たちは生きている限り止めることができないのかもしれません。そうであれば、いつも帰ると分かっている自宅の部屋から心地よい雰囲気を感じるのと、嫌な雰囲気を感じるのでは、前者の方が良いに決まっています。
その影響は、家にいるときだけには留まりません。家を離れて職場などにいるとき、友人と遊んでいる時も、常に自宅のイメージは自分自身の無意識レベルに影響を与え続けています。
一見、自分自身の心の在りようと、身の回りの環境とは、まったく無関係では無いにせよ、そんなに大きな影響は及ぼさないと思いがちですが、実はそうではないのです。無意識に選別されて意識にはほとんど上がってこないかもしれないですが、私たちの五感は周囲の情報を常に取得し続けています。心地よい情報が入力され続けるのと、嫌な情報が入力され続けるのとで、心のストレスに大きな違いが生まれます。
自分の「大好き」をコンパスにする
自分が何を望んでいるのか。何を好んでいるのか。子供の頃はそんな思いは素直に行動に現れていたと思いますが、大人になるに従い、その思いは胸の奥に閉じ込められがちです。
自分にとって心の底から本当に大切なことや大好きなことは、生まれてきた意味そのものでもあり、宇宙の願いでもあるのです。だから、自分の欲求に対してできるかぎり素直になると、運気の流れが良くなります。
何か大切なものを手に入れるために真剣に頑張っている姿、成し遂げたいと奮闘している姿に人が心を動かされ惹きつけられるのはそのためだと思います。
幼少期に「あれはダメ」「これはダメ」と欲求を押さえ付けるように厳しくしつけられた場合、「ああしなさい」「こうしなさい」と欲求を無視して行動を押し付けられた場合、親や他人の欲求を自分自身の欲求と思い込み、自分の好き嫌いが他人の評価という別の判断基準にすり替えられている場合があるので注意が必要です。
五感の情報を感じ取り、本当の自分がどう感じているのか。自分自身の声に耳を傾け、自分自身を大切に扱うこと。同様に他人を尊重すること。それが社会の中で自分らしく生きる第一歩かもしれません。
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