なんだか運がいい人。いつも笑顔で、周りに良いものが集まってくる人。
そんな人は、いつも体調が悪そうにしているでしょうか?
私のイメージでは、運のよい人、惹き寄せの強い人は、仮に疲れていてもエネルギッシュで、疲れを癒す時にはしっかりオンオフ切り替えて休める人。一時的に体調が崩れたとしても、心から元気が溢れて体調を引っ張り上げられる人。そんなイメージです。
けれど、普通は体調があまり優れないとき、考えがネガティブに寄ったりしませんか?
心が強い人は、体の調子がどうであれ心を良い状態に維持できるのかもしれませんが、やっぱり体と心は無関係ではなくて、互いに影響を及ぼしあうものだと思います。「健全な精神は健全な身体に宿る」とか、逆に「病は気から」とか言いますよね。
そうは言っても、まず土台の体が元気である方が、心の健康は維持しやすいですよね。
近年増加している「不定愁訴」
「仕事(学校)に行けない程ではないけど、ずっと調子が悪い状態が続いている。病院に行って検査しても、特に悪いところはない。」
このような「不定愁訴」の症状を訴える人は、現代の生活習慣や環境の変化により、若年層から高齢者層に至るまで幅広い年齢層で増加しているそうです。
不定愁訴とは、健康な状態とは異なる何らかの不具合を感じているのにも関わらず、西洋医学的観点から病気の原因を特定できない、というもの。
こういった不定愁訴の症状に、東洋医学は効果を発揮しやすいと言われます。
なぜなら、西洋医学はある特定のポイントに原因を絞ることが得意なのに対して、東洋医学は体の中のパーツ同士のバランスの崩れという巨視的な視点で体調を整えることを得意としているからです。
私たちは「元気」を消費しながら生きている
日常的に「元気」という言葉はよく使います。
「元気」って何?と聞かれたら、「健康なこと」「病気じゃないこと」というイメージですよね。
ですが、よくよく考えてみると「元」「気」という漢字の組み合わせ。イメージと合致しない部分があると思いませんか?「元」という漢字のどこに健康というような意味合いがあるのでしょうか。
それは、「元気」の本来の意味を理解すると分かります。
「元気」とは文字通り、元々の気。私たちが生まれたときに授かった「気」、つまり生命エネルギーのことを指しています。
東洋思想的には、私たちは生まれたときから死ぬまで「元気」を消費しながら活動しています。もともと持って生まれた気の総量も人によって違いますし、活動の仕方によって気を多く消費したり、あまり気を遣わず活動する性格の人もいます。また毎日の食事や大気中から得る外気の取り込みにより、私たちは日々、気を補充して生きています。しかし、多かれ少なかれ、生きることは元気を消費することに違いはありません。そして元気が尽きたとき、私たちの活動は停止して死に至ると考えられています。
「元気な状態」とは、健康なことというよりは、「本来あるべき状態」という方が言葉本来の意味に近いことが分かりますね。
病気とは気の滞りによって起きるもの
では、「病気」とは何か。
私たちは長い時間生きていくうちに、例えば血管の内側にコレステロールが沈着、積層して内側が狭くなりやがて閉塞してしまうのと同じように、気の経路もメンテナンスしなければ段々と詰まって流れが悪くなると考えられています。
気の経路に次第に溜まって流れを阻害するのは、コレステロールではなくて、「邪気」です。
これまでの章でも説明してきたように、「邪気」とはストレスとか、何か嫌な感じとして私たちが察知するものです。五感が嫌がる寒さ暑さ湿気、他人からもらう嫉妬や妬み、食品に含まれる添加物など様々です。
長い年月を生活するうちに、気の経路に邪気が溜まり、気がだんだんと流れにくくなります。そして完全に塞がり、気の循環がなくなると、器質的な病変に移行すると考えられています。
逆に言うと、気の流れをスムーズにすることで病気を未然に防ぐことができるし、仮に器質的な病変に至った場合も、経絡の詰まりを解消させて気の流れを整えれば、治すことができると考えられています。
気の流れを整える
経絡は人体の内外と五臓六腑をつなぎ体中をめぐるネットワークです。
私は気を遣う性分で、「肺」が弱いと鍼灸の先生に言われます。生理前は特に調子が悪く、肝臓の働きが活発になるためか、肝臓のあたりの体の前面と背中がビリビリ感じることもあるほどで、そんな時は一人で安静にしていても心がザワザワと緊張して落ち着きません。「肺」が弱いために五臓の力の均衡が保てていないのだそうです。ちなみに肺は五行で金の属性、肝臓は木の属性で相克の関係にあります。
東洋医学でツボ治療をするのは、気の流れを整えるためです。肺に支障があると考えられる場合は肺経の経絡を中心に治療をしてくれます。
また、自分でも体全体の気の流れを整えることができる方法が「気功」と呼ばれるものです。スポーツと同じで気功も練習が必要です。気功が上達すると、経絡の掃除だけではなく、気の消耗を抑え、かつ外気を取り入れて内気に充填することもできるようになるようです。
気の消耗を抑える
「気を遣う」ということの意味を知り、驚いたと同時に府に落ちました。
周りのことに目を配りあれこれと心配していることは、まさに大量に気を使う(消費する)行為であり、どうりで疲れるわけだと納得しました。
私はテレビを見るときも、たとえそれがお笑い番組であっても、食い入るようにジッと見ているので、「なんでも一生懸命だね」と笑われますが、私は無意識のうちに情報を余すことなく処理しようとして気を遣っていたのです。
気を消費しないためには、テレビを見ている時も、車の運転をしているときも、「私が見る、情報を取りに行く」のではなく「周りの風景、情報の方が自分の目や耳に入ってくる」意識が必要のようです。
外気を取り込む
内気とは、私たちの体の中に貯蔵されたり巡っている気。対して外気とは、私たちの外に巡っている気のことです。
私たちは、水も食料も補給しなければ一週間も生きられませんし、呼吸に至っては止まれば数分も生きられません。
生きるということは元気の消費であると先に書きましたが、外から気を取り込んで補充することで私たちは命を長らえています。
外から取り込む気の形は大きく2つ。一つは、大地の気とも言える、水や食料から得る「水穀の気」。もう一つは、天の気とも言える、肺や皮膚の呼吸から得る「精気」です。
水、食品、空気、どれにしても、質の良し悪しはあります。質が良いとは体に良いこと。邪気が少ないこと。現代社会で原始的な生活を送りながら社会生活を送ることは難しいので、できるところから質の良いものを取り入れられるようにしたいですね。
邪気を跳ね返す
自分が気を使いすぎていることにすら気づいていない現代人の多くは、気が不足しがちと言われます。外から入ってくる気は良い気ばかりではなく、邪気も含まれますので、もともと不足しがちなところへはどんどん吸収されてしまいます。
メンテナンスや練習を重ねて内気を充実させると内の圧力が高まり、また練習により気に対する感度が以前よりも上がっているので、外から入ってくる邪気の侵入を抑えることができるようです。
以上、気の流れの観点から、カラダの不調と、元気を取り戻す方法の概要について触れました。
より詳しく知りたい方は、おススメ書籍を参考にしてみてくださいね。
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